Ume’s Short Stories:7
歩く
旅から遅れて帰った僕を迎えてくれる人はいなかった。
何があったのか、どうしてこうなったのか、どこに行けば答がわかるのか。それが何よりも先に考えなければならないことだったのかもしれないが、そのときの僕は、全く違うことを思い出していた。
それは、僕がこの地を離れるときの彼女との約束だった。
「わたしはあなたをいつまでも待つことができるわ。四年なんて、あっというまに過ぎてしまうわよ」
彼女のその姿、表情、しぐさ、声。どれ一つとして旅の間、決して僕の心から消えてなくなることはなかった。むしろ、彼女を思い出すことによって、いくつものつらいことを乗り切って帰って来ることができた。
僕は、暖かいのか冷たいのかもわからない風が吹く中を注意深く、彼女の待つ場所へと歩きはじめた。あまり時間は無かった。
見上げると空は、旅の途中で見たどんなに奇妙な空とも違っていた。まるで、僕というちっぽけでぎこちなく歩く邪魔者を、上からじっと観察しているような気さえした。
しばらくすると僕は、見覚えのある道にたどり着いた。両側の建物は、以前とはすっかり形を変えてしまい、なんとなくその面影を残しているだけだった。かつてはさまざまな店が立ち並び、活気あふれたこの通りも、今となっては誰一人として往来するものはなく、あるのは、崩れてぼろぼろに風化してしまった店の数々と、舗装されていたはずの表面が見えないほどに積もった緑色の砂だけだった。僕は、そんな風景の中、約束の場所へと足を進めた。きっと間に合うだろう。
「わたしには想像できるの。今からちょうど、あなたが帰ってくる四年後に、わたしはこの公園のベンチであなたを待っているわ」
不思議と、公園に近づくにつれて、僕の中の彼女の姿が鮮明になっていくように思えてならなかった。今こうして砂の上を一歩一歩進むことによって、今までにほんの少しずつ、気づかずに落としていた彼女の体の一部一部が復元されているような気がした。
やはり、あまりにも遠く離れていたから僕は、知らず知らずのうちに彼女を忘れてしまっていたのだろう。でも、あと少しで、彼女自身と再会することができるのだ。
そう思うと、僕の足は、所々黒くなっている緑色の砂の上を、残り少ない力で、わずかに早く動いてくれた。
気づくと、今まで両側に並んでいた残骸が、ある所だけ途切れていた。そして、その途切れた場所で右を見てみると、どこまでも残骸は無く、続いていた。そうだ、ここは確か踏み切りだったのだ。この通りはここで鉄道と交差していたのだ。ということは、彼女の待つ公園まではそんなに遠くない。もうすぐだ。左を見てみると、少し離れたところに、店や建物の残骸とはまた違った、それよりも少し小さい、細長い固まりがつながっていた。近寄ってみると、その残骸からは、例の黒い砂があふれ出ていた。電車だった。
僕はその光景を見ても、何も思わずにただ、再び通りに戻って公園に向かって歩き続けるだけだった。いたるところにある黒い砂。僕の知っている人、知らない人、嫌いな人、好きな人、軽蔑した人、尊敬した人。こうなっては全ては同じだった。それらは何の意味も持たない。
やがて僕は着いた。どうやら間に合ったようだ。通りの右側に大きく広がっている公園の囲いは全て崩れていたため、どこからでも入ることはできたが、僕はあえてあと少し、入り口までを歩くことにした。
「あなたはきっと、水飲み場のあるあの入り口から走ってくるわ。あんまりうれしくてしかたがないから。でも、わたしもきっと、このベンチに座ってなんかいられないわね。あなたよりも、もっと早く走っていくわ」
歩きながら公園の中を見ると、やはりここも、緑の砂の中、所々が黒くなっていた。僕は水飲み場のある入り口から公園に入った。
そして、長い旅で疲れ果てた体を、正面の、少なくとも四年と少し前にはベンチのあったはずの場所へと、やっとの思いで走らせた。
そこには黒い砂のかたまりが一つあった。僕にはその黒いかたまりが、誰かを待つように、水飲み場の方を向いているように思えてならなかった。
僕はそのかたまりの横に座って、広場のあった方を眺めた。
「きっと、あなたとまた会うときも、今日と同じで、こんなにきれいな青空をとんぼが飛んでいて、あの芝生では子供たちがボール遊びをしているわ」
空の色は汚くて、動くものは何も無かった。
僕もあたりの空間と同じように、じっとしていた。それがどのくらいの時間かはわからない。そもそも、僕以外に誰一人としていないこの世界で、時間などというものの意味は無かった。でも、ただ一つ言えるのは、もう、僕自身の時間が終わりに近づいているということだった。
僕はヘルメットをゆっくりと脱ぎ、空になった背中の酸素タンクを宇宙服から外した。帰ってからはじめて吸った故郷の空気は、なんとも言えない匂いがしたが、そんなことはどうでもよかった。これで僕はようやく彼女と、地球上の人達と同じになれるのだから。 遠く白く、薄れてゆく意識の中、僕は彼女の笑顔と、この言葉を思い出して、微笑んだ。
「しばらくのお別れは悲しいけれどわたし、ちょっぴりうれしいわ。だって、誰かに『恋人はどうしたの?』って聞かれて、もしそれがよく晴れた夜だったら、わたしは空を指さして、『わたしの恋人はあの星にいるの』って言うことができるから。きっとわたしはそのとき、世界中の誰よりもロマンチックな気分よ」
最後に僕は、両手で黒い砂をすくいとってキスをした。
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