Ume’s Short Stories:4
十一月の朝は寒い
冬の朝は寒い。当たり前のことだけど非常に寒い。
もぞもぞと体を動かして思い切って目を開けると、半分雨戸を残しておいてくれてある窓からの、僕を起こすのにちょうどよいだけの光が、ベッドの反対側の置き時計の短針が六と七の間にあることを教えてくれていた。
勇気を奮い起こして今すぐベッドから抜け出せば、朝食を慌てずにとることもできるし、新聞も、テレビ欄以外にも目を通すことができ、いつもより何本か早い七時二八分の電車にも十分間に合うな。ということは、今朝は駅から会社まで馬鹿みたいに走らなくていいということか、と僕はくるまった毛布の暗闇の中でにんまりとした。が、目が覚めてくるにつれてその先のことに考えが及んだところで、このままベッドに入っていたい気分に襲われた。
今日は朝から会議だ。それも、僕みたいな二年目の社員が出ても意味の無い会議だ。何も喋らせてはもらえず、ただただ説教を聞かされるだけ。毎回同じことの繰り返し。やれ『もっと仕事しろ』、やれ『残業を減らせ』。どっちなんだ。無意味な会議を減らしてくれるなら、そりゃもう一生懸命働きますよ。ああ、いっそのこと今日は昼からの出社にしてしまおうか。でもそんなことしたら一緒に会議に出る同期に悪いような気もするし・・。 半ばいいかげんな考えをいつまでも頭の中で転がしているうちに、いつのまにか毛布のぬくもりは、僕の意識の奥の、ここしばらくは思い出すことの無かった十年ほど過去の記憶を再現させつつあった。
かさかさ、という乾いた音と小さな振動、それに正面から吹く冷たい風が僕を包んでいた。僕は乾燥した葉に覆われた、玉川上水沿いの遊歩道をk高校に向かって自転車を走らせているのだった。上水の向こう側に校舎が見えてきた。まだ授業が始まるまでには時間がかなりあったせいか、ほとんどの教室には人影は無かった。ただ一か所、三階の一番はじの教室を除いては。そこだけにはいつもと同じ、どこを見ているのか、窓から遠くを眺めている彼女の姿があった。僕はそんな彼女を自転車から見たいがために毎朝少し早く、本当は通らなくてもよい、ちょっと遠回りになるコースから高校に通っていたのだった。 そうだ、僕はそのときB組で、A組の彼女に夢中だった。
僕は珍しく自分の部屋の机に向かっていた。でもそこには教科書や参考書といったものは広げられてはいない。そのかわりにボールペンとクリーム色の、派手とも地味ともいえない無難な柄の便箋があったけれど、僕はそれらを前にしていつまでも腕を組んで目を閉じたままだった。いったい何を書けばいいのだろう。僕は途方に暮れていた。
こんにちは、お元気ですか。
変だな。同じ高校に通っているのに『お元気ですか』は無いよ。
僕はこの高校に入学してあなたの姿を初めて見たときから
これも何だか野暮ったくて嫌だな。でも何としてでもこの気持ちだけは伝えたいんだよ。毎日毎日彼女の姿を眺めるために、隣のクラスの友達のところに意味の無い会話をしに行くのも面倒だしな。けれども、何となく向こうもこっちを気にしているような気もするんだけどなあ。違うかな。気のせいかな。でも、もしそうだとしたら・・・。
何やってるんだ、それを確かめるために手紙を書くことにしたんじゃないか。ここであれこれ想像したってしょうがない。でも一週間もこうして考え続けているのに何も浮かばないよ。ええい、どうせ気の利いた文章が書けないんだったら、思っていることをそのまま書いてしまおう。
好きです。
僕は教科書も参考書もボールペンも便箋も置いていない机の前で、やはり腕を組んだままじっと目を閉じて座っていた。おかしいなあ。あれからだいぶたつのに何の返事も無いままだ。直接返事が言いにくいとしても、手紙さえも来ないところをみるとやっぱり駄目だったのか。そうだとしたら、こっちから聞いても仕方なし、か。なんだか寒くて腹へったな。カップラーメンでも作って食べよう。
あーあ、もう冬だ。布団から出るのも面倒だ。あ、今朝は風の音までするよ。冬の自転車通学は寒いんだよな。特にこんな日は手が冷たくてかじかむし。学校行ったってろくなことは無い。彼女、どこかへ引っ越しちゃったしなあ。ま、その前に気持ちだけは伝わったはずだから、よしとしよう。それにしても寒いなあ。今日はカゼということにして休んじゃおうか。あ、でも確か午後の授業でテスト範囲の説明するとか何とか言ってたな。後から人に聞いてもいいけど、そいつの聞き逃しがあったら困るな。やっぱり自分で聞いといたほうがいいか。ということは、よし、昼過ぎから行くことにしよう。
そして昼ごはんを済ませて仕方なく家を出ようとしたとき、ちょうど僕が自転車を家の隅からひっぱり出して道路に出ようと門を開けたそのときに、郵便のバイクが勢いよく目の前に止まった。おやじは「郵便です」と、このくそ寒いのに威勢よく言うと、すぐに走り去った。僕はしかめっ面でドアに戻りかけたが、それがいつものダイレクトメールや水道料金や何かの「自分とは関係の無い郵便物」ではないことに気づいた。冬の空のように青い封筒だった。ただの郵便物が、こんなにきれいな封筒で来るはずが無いし、それよりも、もしこれがダイレクトメールや何かだったら、裏に彼女の名前と新しい住所が書いてあるわけが無いじゃないか! あわてて開けてみると、その中には封筒と同じ色の便箋が一枚だけあって、そこにはたった一言
わたしも
とあったのだ。体のまわりを勢いよく通り過ぎる冷たい風が急にどうでも良い、些細なことのように感じられ、弱々しく光っていた太陽は頼もしく思えた。僕は何度も何度も、そのたった四文字の言葉を大事そうに読み返していた。
いけない、昔の大切な思い出を一通り、ベッドの中でにやにやしながら思い出している間に、短針はとっくに七を指していた。いいかげん、いつまでもぐずぐずしていては駄目だ。もう、今の僕には昼まで寝ていて手紙の返事を待つ相手なんかいないのだ。とっとと起きなくては。このままベッドのぬくもりの誘惑に負けていたら、彼女の作った朝ごはんが冷めてしまうんだ。僕はベッドから飛び出ると、たまごとベーコンの焼ける音のするキッチンへすっ飛んで行った。
このコーナーの最初に戻ります