Ume’s Short Stories:2
担当者交代
この土地を訪れるのは実に久しぶりのことだった。
初めて訪れたときと様子はすっかり変わり、無造作に立ち並んだ建物には、数えきれないほどのネオンが夜の闇に逆らおうとでもしているかのように、汚れた通りを行き交う人々を照らしていた。 私はあまりの変化に戸惑い、呆れながらも、とにかくどこかで一休みすることにした。この地区の担当者に会うのは今すぐでなくてもいいと判断したからだ。この辺境までの長い旅の疲れを癒すのが今の私にとって一番必要なことだった。
別に休む場所にこだわる理由は無かったので、とりあえずすぐ近くに看板の見えた酒場に入り、たばこの煙といくつもの話し声、笑い声の中、カウンターへと向かった。
「でもさ、そういう人達は本当に信じているのかな」
「何を?」
「だからさ、終末とか最後の審判とかだよ」
「ああ、昼に公園で人を集めて演説してたあれのことか」
「うん」
「喋る奴が熱心なのはまだいいとしても、大勢が真面目な顔して聞いてたのは、なんか薄気味悪かったな」
「あれきっと、全員信じてたよ」
「ばかばかしい。二千年になったって三千年になったって、太陽が爆発しない限り、『明日』は来るんだぜ。そればっかりは神様にも止められないって」
「まあ、それはそうだけど」
振り返ると、少し離れたテーブルの若い二人が、およそこの酒場にいるどの客もしていないようなことについての会話を交わしていた。
私はカウンターに運ばれてきたばかりのビールを、よく冷えたグラスにゆっくりと注ぎながら二人の会話に耳を傾けた。
「だいたい全能の神様がいらっしゃったらきっと今頃、俺たちを上からしかめっ面で見下ろして、なんてひどい生き物を作ってしまったんだって嘆いてるよ。でもって、『嘆く』っていうことは全能じゃないってことの証拠なんだよな。っていうことはそんな人は存在しないんだよ、どこにもね」
「でも何か、どう言っていいかわからないけれど、俺たちを『見ている』存在があるような気がするんだよな」
まわりのテーブルから聞こえてくるのは、仕事、流行、恋愛などなど、予想通りで、面白みの全く無い会話だらけだったが、彼らのそれには、もうちょっと聞いてみたい、と思わせるものがあった。だから私は視線をグラスに戻したものの、彼らの会話に耳を傾け続けた。
「お前はどういうときにその存在とやらを信じるんだ?」
「信じるというか、例えばさ、ついつい嘘ついちゃったり、ちょっとした悪いことをしたときなんかに『あ、まずいことしちゃったな』って思うだろ」
「まあね」
「それが、どんなに小さいことで、自分から言わなければ絶対にばれないようなことであっても、何故かそのことがずっとひっかかるんだよ。何かこう、最後にそういう積み重ねの責任をとらされるような。それは結局、俺が心のどこかで、自分を見ている『存在』を信じているっていうことになるんじゃないかな」
「うーん。でもさあ、それはお前がそう思い込んでいるだけのことだよ。だいたい、善悪なんて人間が勝手に作ったものだぜ。それに考えてもみろよ、こんなに大勢いる人間一人一人を見守ってくれてる奴がいたら、そいつはよっぽどのひま人だぜ」
「でも、赤ん坊のすること全てを親が見ているように、人間を見守っている存在があるんじゃないかな」
「じゃあ、誰かが俺たちを作ったっていうのかよ」
「うまく説明できないけれど、何物かが『存在』すると思うよ」
「どうしたんだよ、いつもより力入っちゃって。飲み過ぎじゃないのか。そんなもんどこにもいやしねえよ」
「そうかなあ」
「なにやら難しい話をしてますな」
どさり、と一人の男が何の断りも無く突然私の隣に座った。
「あなたはどう思います?」
そのぼさぼさの髪に不健康そうな表情の男は、ぶっきらぼうに質問してきたかと思うと、間をおかずに勝手に自分で喋りだした。その態度と息から、すでにだいぶ飲んでいることは容易に想像できた。
「私はね、信じますよ。もちろん、信じますとも。だってそうでしょ、誰のおかげでみんなこうして生きているんですか。誰のおかげでこうやって酒を飲んでいられるんですか。偉大なる創造主のおかげでしょ。そうですよ。それなのに、まったく、あの方々ときたら」
この男は何様のつもりなのか。彼は私に口を開くすきを与えず、必要以上の声を出して、もう何杯目なのかわからないおかわりを注文した。彼は呆れ果てた私にかまわず、運ばれて来たジョッキをテーブルに置かないまま、そのまま口へともっていき、ごくごくと音をたててあっという間に半分ほど飲んだ。
「やけ酒、というわけですか」
私が声をかけてやると、ようやく彼は私の方を向いた。
「ええ。もう、どうにもこうにもうまくいかなくてね」
「仕事でですか」
彼はこの問いに遠くを見るような目をして答えた。
「そう、仕事。それも、大仕事。でもしくじっちゃった」
私には、彼がそう話しながらも、次に何を飲もうかと頭の片隅で考えていることがわかっていた。彼の頭には私に対する関心など微塵も無かった。
「失敗なんて、誰にでもありますよ」
「失敗には三つある」
急に真顔になった男は得意げに先を続けた。
「一つ目はどうでもいい失敗。誰も気づかずに素通りしてしまうようなやつ。次、二つ目。これは自分で『しまった』と思って、まわりにも『やったな』と思われちゃうようなやつ。でもうまく弁解して適当に処理しておけばなんとかなる。そして最後。これが私がやってしまった、もう取り返しがつかなくて、どうしようもなくなって、こうして飲んだくれるしかないような失敗というわけ」
せっかくゆっくり座って落ち着けると思ったのにこんな酔っ払いに邪魔されるのは癪だったが、ここでいきなり店を出るのも何だと思い、それならばと少し意地悪な質問をしてやった。
「それで、あなたはその失敗については何もしないままなんですか。いずれわかってしまうじゃないですか」
あきらめの表情にやる気の失せた笑いを混ぜた彼はつぶやいた。
「そう、いずれはね。そのうちにやって来て、この有り様を見るだろうな。ああ、まいった」
まいったのは私のほうだったが、これだけは言わずにはいられなかった。
「『ほう・れん・そう』、知ってますか?」
「何です、それ」
私は語気を強めて言った。
「どこの世界でも通じる普遍の法則、仕事の基本じゃないですか。報告、連絡、相談ですよ。何かちょっとでも問題が発生したらすぐに動かなければ駄目じゃないですか。何もしないで見てるだけだから取り返しのつかないことになってしまうんですよ」
「それはわかってるんですけどねえ」
と言って彼は立て掛けてある飲み物のメニューに手をのばした。
我慢の限界だった。私は、彼が人の話をちゃんと聞こうともせずに次の酒を注文しようとするのをさえぎり、彼の腕をつかんで立ち上がった。
「もう行きましょう。飲み過ぎですよ」
「よせ、俺はまだここで飲む」
すっかり酔っている彼は、もちろん私の力に対抗することなどできず、それをすぐに悟ると仕方なく一緒に立った。
金を払い、店を出ると私は、人気の無い裏通りへと彼をひきずるようにして進んでいった。
しばらく歩くと背の高い建物は減り、頭上に広がったいくつかの星の見える空き地に着いた。この汚れきった場所からでは本当の星空を眺めることはできなかった。
私はさっきのお返しとばかりに、どさりと彼の体を雑草の茂った地面に投げるように手放した。彼はまだ酔いが覚めていないのか、草むらに横になったままぼそぼそと言っていた。
「・・・やつらが来るまで、せめて、それまで飲ましてくれ、それまででいいから」
私はぴしゃりとこう答えた。
「だからもう終わりなんだ」
その言葉の意味を理解した彼は動きを止め、私の顔をじっと見て言った。
「あ、あんた・・・」
「そうだ。なかなか完了報告が届かないから様子を見に来るよう派遣された。次の予定もびっしりなのに。こんなことになっているとは思ってもみなかった」
彼は泥のついた顔のまま泣き始めた。
「馬鹿、泣いて済むことじゃないだろう」
私は彼を思いきり強く蹴った。泣き声がうめき声に変わった。
「まったく、いったい何をしてたんだ。最初にお前とここに来てこの星の生物からヒトを選んで言葉や道具を与えたときから何の進歩もしてないじゃないか。思想、科学、芸術の理想的向上が全然できてない。大体『人種』だの『国家』だの下らない枠が多すぎる。不要なものを排除してできるだけ早く彼らをレベルアップさせて肉体不要の純エネルギー体へ進化させるのがお前の役目だろう。なのに何だこれは。彼らはすっかり個体の利益に毒されているし、いらない武器ばかりがあふれかえっているじゃないか。まったく、ここへ来る途中も危なっかしい燃料を積んだ衛星がたくさんこの星のまわりをぐるぐる回ってるから危うくぶつかるところだった。こんな状態にしたまま飲んだくれてるとはな。しかも、いくら人間に姿を変えているからといって、俺のことさえ気づかないとは呆れたやつだ。お前はすっかり人間以下に成り下がっているぞ。これじゃあ、この種族の統一精神体作成なんかいつまでたってもできっこないだろう。中心存在への提供はあきらめよう。その前に宇宙が終わってしまう」
さて、これからどうするか。私は彼を踏みつけながら少しの間考えた。彼の仮の姿、つまりヒトの体は徐々に原型を失いつつあり、本来の姿−といってもこの星の生物から見ればただのまぶしい光にしか見えないだろうが−を現し始めていた。こいつの代わりの担当者を見つけて連れてくる時間は無いからこの星は破壊してしまおう。危険な種族に宇宙をうろうろされるのも迷惑だ。一瞬私は酒場で聞いた会話を思い出した。中には可能性をもった者もいるかもしれない。でもそれはほんの少しに過ぎない。仕事に感情は禁物だ、残念なことだが。
彼のうめきはすでに音声ではなく意識の流れとなって私に助けを求めてきたが、もちろん私は容赦などしなかった。仕事を甘く見てもらっては困る。遊びではないのだ。
やがて愚か者はこの未開の惑星の空気中に分解した。あとはこの星を壊して立ち去るだけだ、と思ったそのとき、いままで彼の声で聞こえなかったのか、動物の鳴き声が聞こえてきた。それは、ごみ捨て場の陰から小さな顔をのぞかせた二匹の子猫だった。私がそっとしゃがんで笑いかけると、その二匹も「にゃあ」と鳴いて恐る恐る暗がりから出てきた。 別に彼らの瞳に、私に訴えかけるものがあったというわけではなかった。彼らにしても、ただの好奇心で近づいてきただけなのだろう。それでも私は彼らにチャンスを与えてみたくなった。彼らなら、愚かな担当者にあたってしまった哀れな人間のようにここまで地球を汚し、堕落の道をたどることなく、無事に種族の発展を成し遂げ、進化のゴールを目指すことができるだろうという予感があった。
種族の繁栄を見守り、ときには陰から支えるというのは久しぶりにやる仕事だが、昔はさんざんやったものだ。コツはわかっている。間違ってもこいつのような失敗をするはずはない。私は足元でうずくまっている猫をそっと抱き上げると、汚れきった空気を突き抜けて軌道上まで一気に上昇した。そして地球全体をすっぽりと厚い雲で覆った。今頃天気予報は、突然現れた膨大な量の雨雲について何と説明しているだろう。
「きみたちの場所をきれいにしてあげるからね。それまでの間、待っているんだよ」
二匹の子猫は仲良さそうに私の腕の中から、生まれて初めての、そして二度と見ることのできない景色をじっと眺めていた。しかしいつの日か必ず、同じ光景を彼らの子孫が見ることになるだろう。
やがて地上では、しばらく止むことのない大雨が振り始めた。
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