Ume’s Short Stories:13

ネギラーメン

 

 そんなはずはない、絶対にあり得ない、と俺は思った。静まり返った真夜中の公園の金網ごしに昔懐かしい商店街を見下ろすと、通りの向こうの方の例の場所には、確かにあの店のあかりが見えた。

 夢でも見間違えでもなく、確かにそのラーメン屋はあのときのまま、その場所にあったのだ。空気の冷えきった深夜二時、他の店が全てシャッターを降ろしている商店街で、唯一その店だけが、店内から漏れる黄色い光で道路を照らしているのがここからでもよく見えた。

「本当だったのか・・・」

 酔いはすっかり醒めていた。

 

 数時間前、俺は久しぶりの酒を飲んでいた。

 普段、飲みの誘いがあっても何かと理由をつけて断っていたのだが、さすがに忘年会とあっては、しかも課長から「たまには息抜きも必要だぞ」と参加を促されたのでは出席しないわけにはいかなかったのだ。

 同期入社の総務の女の子が声をかけてきた。

「今年は夏ごろからずっと忙しかったみたいね。ご苦労様」

 そう言ってビールを注いでくれた。

「ありがとう」

「毎日残業で夜遅いんでしょ?」

「うん、まあ」

「そうそう、自分で仕事増やしてるって本当なの?」

「え?」

「この間聞いちゃったんだけどさ、主任さんが課長に、あなたの残業が多すぎるんじゃないかって聞かれてて、『彼の方から仕事増やしてくれって言ってきたんですよ』って答えてたのよ。でもね、『彼ならば安心ですし』とも言ってたわよ」

 彼女は「ねえねえ」と声を潜めて聞いてきた。

「ひょっとして、結婚資金、貯めてるの?」

「まさか」と俺は笑ってみせた。そんなことではないのだ。

 どう答えようかと迷っていたところへ、彼女の真後ろにいた主任がこっちを振り返り、こう言った。

「いつも悪いね、全部まかせちゃって。でもやっぱり一人だけ極端に仕事が増えちゃうのもなんだから、もう少し楽になるようにスケジュール調整してるところだからさ」

 その必要はありません、と言いたい衝動に駆られはしたが、せっかく主任がよかれと思ってかけてくれた言葉を台無しにすることもないので思いとどまった。

「まあ、よかったじゃない。これでまた同期のみんなで飲みにも行けるわね」

「そうだね」

「ねえねえ、このお店ね、メニューがけっこう増えたのよ。何か食べたいものある?」

 この店はいわゆる居酒屋ではあったが、どの町にもあるようなチェーン店ではなく、いくらか値は張るものの、数多くの種類の酒や新鮮な魚、素材にこだわった料理には定評があった。彼女は手書きの文字でびっしり埋まったメニューの中から、まだテーブルに並べられていないものを幾つか注文してくれた。

 座敷の部屋で料理を食べ酒を飲み、先輩、同僚、後輩たち会社の仲間とざっくばらんに言葉を交わす。それはここしばらく味わっていなかった時間といえた。

 そのためか、ピッチもどんどん上がってしまったらしい。

 俺は最初、たった一日なら今まで保っていた緊張感を緩めてもいいだろうと思っていた。だが、それが間違いだったようだ。店の雰囲気、料理と酒、そしてあなた方の職場と違って、不快な人物が一人もいないこの仲間との和やかな会話にすっかり溶け込んでしまい、長らく断っていた酒の力に押し流されてしまったようだった。

 会が終了し、店を出たときの様子すらはっきりと思い出せない。金は払ったか?まずい、それも思い出せなかった。いや、確か社内で二、三日前に誰かが集めてたな。それなら大丈夫か。別れのあいさつのようなみんなの笑顔だけは思い出せた。何をやらかしたわけでもないのだろうと思うと、安心だった。

 次に覚えているのは終電車を降りた駅のロータリーのバス停にあるベンチだった。最初は駅のベンチに座っていたのだが駅員にもう駅を閉めることを告げられ、暗くなった改札を一人出たのだった。別に気分が悪くなったわけではなかったが、しばらくのあいだ俺はベンチに腰掛けていたようだった。一瞬に過ぎたしばらくぶりの酒とリラックスした会話の時間を思い返していたのだと思う。



 そして再び悪夢を見た。赤い色と女の声だけの。



二度と来ないなんて言わないで。待っているわ。いつか絶対に来てよね。



数え切れないほど見た夢、俺の無意識に、体全体に語りかけるような夢。見ずに済む日を待ちわびている夢だったが、いまいましいその声はより現実味を増しているかのようだった。

 絶対に行くものか。思わずそう口にして立ち上がったところで「彼」が話しかけてきた。



「よっ、元気?調子はどう?」

 突然の声に俺は一瞬戸惑った。

 改札の奥の暗闇から現れた彼は高校時代によく見た顔だった。それはすぐにわかった。が、悔しいことに彼の名前が思い浮かばなかった。

「ええと」

「ほら、昔よく遊んだじゃんか」

 確かに俺には高校時代によく遊んだ、四、五人の気の合う仲間がいて、卒業後も何かと理由をつけては集まって飲んだものだった。やがてみんな社会に出るようになると、さすがにそれまでのように集まることはできなくなっていった。

 情けないことだが酒のせいか、どうしても名前を思い出すことができなかったがそれを認めるのも癪だったので俺は差し障りの無いことを聞いた。

「仕事はどう?」

「何とかやってるよ。忙しいけど。売上落ちてるって課長がいつもうるさくてさ。これがまた、ほんと、うるさいんだよ」

 苦笑する彼に俺は答えた。

「どこも同じかな、今は」

 そこで会話がぷっつりと止まってしまった。久しぶりの旧友と会って話すときに、こんなふうに会話が固まってしまうなどというのは初めてのことだった。

 何かがおかしかった。でもそれが何かはわからなかった。俺はとりあえず話を続けた。「みんな元気にやってるかな?」

「あっ、そうそう、お前去年の夏、実家に戻れなかったんだろ、いつものメンバーでまた飲んだときに聞いたんだけどさ、田辺のやつ、会社辞めて実家のパン屋継ぐとか言ってたけどさ、結局近所にできたチェーン店に負けちゃって今じゃ失業者だよ」

「そんなことがあったんだ。田辺、どんな様子だった?」

「うーん、『親の仕事なんか』って前から言ってたけど、やっぱりしょっちゅう買いに来てくれてた客を取られるっていうのが結構こたえてるみたいだったな」

「そうか、大変だな。で、他のやつは?」

「山下がねえ」

「ああ、ヤマちゃんね。元気だった?確か俺たちが出た高校の先生になったんだっけ」

「それがさ、生徒を殴っちゃったらしくてさ」

「え?」

「ひどいんだぜ。どう考えたって、生徒の方が悪いのに、そいつの親が議員だか何だか忘れちゃったけど、エライ人だったらしくてさ、絶対に娘の非を認めないっつうんだもん」

「で、その娘、何やらかしたの?」

「万引きだってさ」

「そりゃ何されたって文句は言えないだろ。それでそいつ、何を盗ったの?」

「CDデッキだよ。音楽室の」

「へえ。デッキかあ。でも、わざわざ学校から盗むかね。昔は万引きって言ったらカセットテープとかだったのに」

「うーん。何でも、普段ろくに教科書も持って来ないようなやつが妙に大きなバッグ持って帰宅するなあ、と思ってチェックしたらデッキが入ってたんだってさ。それでさ、『なんだこれは』って聞いたらそいつ『CDデッキじゃん』なんて答えやがったところでムカツいてひっぱたいたんだってよ」

「ひっぱたいて当然だけどな」

「だろ?でもさ、校長も教頭もその議員の言いなりでさ、普段仲間ヅラしてた先生たちまでもが知らんぷりだったんだってさ。『仲間なんてろくなもんじゃねえ』ってちょっと荒れてたよ」

「そうか、同僚たちに裏切られたわけか」

 彼はいつのまにかベンチのそばの販売機から缶ビールを二つ買い、

「この時間じゃやってる店なんか無いからこれで乾杯しようか」

と言って俺に一本を手渡し、独り言のようにぼそっと言った。

「人間、仲間裏切ったりさ、ひどいことしたら、おしまいだよ」

 俺は田辺を励ましたかったし、ヤマちゃんに同情の声をかけたかったが、どうしても地元に戻るわけにはいかず、残念でならなかった。

 ただ、たった二人きりでもこうして地方の小さな町から出て来た者どうし、同じ酒を飲むことができるだけでもよしとしようと思っていた。

 彼が地元で旧友たちと飲んだ後にあけみさんのラーメンを食べに行ったと言うまでは。

 

そんなはずはない。絶対にありえない。



 俺の驚きにおかまいなしに彼は話し続けていた。

「それでさ、やっぱあの味はあの店だけだよ。あの、酒飲んだ後の醤油のスープがまたたまんなくてさ。で、具は最低限、チャーシュー一枚とメンマだけでいいんだけど、あの白髪ネギは絶対はずせないよね。あれ、どうしたの?目が点になっちゃってるけど」

 あけみさんの店というのは、俺たちが高校のころに近所に店を出して、ちょくちょく通っていたラーメン屋だった。若奥さんがなかなかの美人で、なおかつ愛想がよくて、俺たちの愚痴なんかもよく聞いてくれる女性だったので仲間うちでは『あけみさんの店』と呼ぶようになっていたのだ。店は旦那さんと二人でやっていて、確かにネギラーメンは天下一品で、彼の言うように、酒を飲んだ後は特においしかったが、そんなことはどうでもよかった。

 俺は恐る恐る聞いてみた。

「あのさあ、お前、あけみさんの店、本当にみんなと飲んだ帰りに行ったの?」

「ああ」

 彼は平然と答えた。

「ええと、それって半年前だよねえ」

「そうだな、確か夏、そう、八月終わりかな」

「だいぶ飲んだんだろ、そのとき」

「ああ、飲んでいい気分になったからあけみさんとこのネギラーメンが食いたくなったんじゃん。何が言いたいの?なんかお前、さっきから変だぞ?」

「お前一人で行ったんだよな?」

 俺はすがるようにたずねた。

「ええと、そう。俺一人だったな。そうそう、飲み屋出てみんなと別れて、いったん家に向かったんだけど、何か物足りなくてさ」

 俺はそれを聞いてようやく落ち着きを取り戻すことができた。

「それさあ、違う店だよ」

「え?何だって?」

「だからさ、お前が行ったのはあけみさんの店じゃないんだよ。勘違いしてるんだよ」

 彼は不満そうに語気を強めて言った。

「いいや、絶対に俺はあの店に行ったよ」

 そしてこう付け加えた。自信たっぷりに。

「なんてったってあのときのネギラーメンの味を今でもこの舌が覚えてるからな。高校のころからずっと食べてきたあけみさんの店の味をな。それに、あんな夜中にやってる店は他に無いだろう」

 そんなはずはないそんなはずはない絶対に。しかし、彼が嘘をついてるとも考えづらかった。

 言うしかなかった。

「だってさ、一年前にあの店、無くなったじゃんか」

「え?何言ってんだよ。だって俺・・」

「ちょうど去年の今頃、あけみさんの店、全焼しちまったじゃないか」

「え?」

 彼の驚いた顔は一際大きく見えた。しかし俺はこの期に及んで彼の名を思い出せないことに気づいていなかった。

「放火だよ。それであけみさんと旦那さんが黒焦げの死体で見つかったんじゃないか。みんな知ってることだろ」

「な、何言ってんだよ、じゃあ、俺が行ったのは?」

「だからあけみさんの店はもう無いんだ!嘘だと思うのならみんなに聞いてみたらいいだろう」

「いいや、絶対に俺はあけみさんのネギラーメン食ったんだってば!」

 そう言い放った直後に彼は何かを思いついたような表情ををして言った。

「なんだかまた食べたくなっちゃったな。そうだ、今から行こうぜ」

 いいや、絶対に行くもんか。しかし、その言葉が口から発せられない。何故だ。

 俺が何も答えられないでいると彼は先を続けた。

「タクシーぶっ飛ばせばすぐ着いちゃうよ」

 すっかりその気になった彼は素早く立ち上がった。

「ほらほら、行くぞ」

 彼にせかされるまま、俺は何の抵抗も出来ずに、ちょうど現れたタクシーに乗り込んだ。

 彼は運転手に行き先を告げると、俺に言った。

「いい加減認めろよ。お前が勘違いしてるんだよ。あんなうまいラーメン屋がなくなるわけないじゃんか。ああ、早く食いてえな」

 タクシーは自信満々の彼と、不安に駆られている俺を乗せて冬の夜道を走りだした。

 ぐんと速度を上げる車の振動に揺られながら俺は後悔していた。もうあの場所には近づかないと決めていたのに、こんなにも簡単に、旧友に言われるままに向かってしまっている。

 彼が言ってるのは一体何だ?あの店があるはずはないのに。あの一家は焼け死んだはずなのに。そう、いるはずないんだ。何故ならこの俺があの店に火をつけたのだから。あの女は死んで当然なのだ。この俺をたぶらかした女だ。あの女にとってはただの遊びだったのだ。きれいな顔して、この俺を弄んだのだ。俺を本気にさせて、いずれは亭主と別れると言ったくせに。俺とやり直すと言ったのに。こそこそ会わなくてもよくなるなどと、心にも無いことを言ったのだ。嘘つき女め。

 ほんの十数分くらいしかたっていないと思っていたが、窓の外には昔アルバイトしたことのあるスーパーや、よく利用した書店など見覚えのある建物が現れていた。酒のせいか、動揺していたからか、時間の感覚が狂っているようだった。それにしても、こんなに早く着いてしまうとは・・・。

 店のまん前にタクシーをつけるのは御免だったので、彼がうとうとしていたのは幸運だった。

「ここで止めてください」

 俺は例の場所の少し手前の高台にある公園にさしかかったところで運転手にそう告げた。

 あの女の店があるはずはないのだが、もし、万が一にもあの店が存在したら、と想像すると正直、俺は恐ろしくなってしまった。子供の頃、風呂場で頭を洗っているときに、ふと、もし湯船にもう一人人がいたら?自分の後ろに誰かいたら?と想像してしまっただけでしばらく目を開けられなくなってしまったときのことを思い出した。

 本当に店があるのだったらこの公園から商店街を見下ろせばすぐにわかる。 万が一、あの店のあかりが見えたら、またタクシーに乗ってすぐに逃げ出せばいい。一歩だって近づくものか。

 タクシーを降り、公園の入り口を抜けて見晴しのいい方へと恐る恐る歩く。歩く?いや、まるで歩いている感覚が無い。もちろん、足は動かしているが、何というか、地面をのろのろと滑っているような感じだ。

 やがて商店街を見下ろせる位置まで来たとき、俺の体は固まった。静まり返った夜の公園に聞こえるのは俺の心臓の鳴る音だけだった。

「本当だったのか・・・」

 酔いはすっかり醒めていた。



 戻ろう。ここに来てはいけなかったのだ。振り返るとすでにタクシーの姿は無かった。くそ、待たせておくべきだったか。まあいい、ほんの数分歩いて街道に出ればタクシーもすぐにつかまるだろう。俺は、いつの間にか入り口のすぐそばにあるベンチに腰掛けている彼に声をかけた。

「俺は帰るから」

 どうせ彼は勝ち誇った顔で『ほら、言った通りだろう』とか言うのだろう。そして食って行こう、とも。絶対に嫌だ。気分が悪いとでも何とでも言ってこの場から離れよう。

 しかし、彼からの返事は無かった。眠りこけているようだ。

  ちょうどいい。このまま眠らせておこう。

 それ以上声をかけずにそうっと公園から出ようとしたそのとき、おぼつかない足取りの男にぶつかった。男はかなり酔っているらしく、その場に座り込んでしまった。

「大丈夫?」

 俺の声に一瞬ピクっと反応して顔を上げたのは、さっき話題に上った同級生の山下だった。

「ヤマちゃん!」

 彼は何回となく大きく瞬きしてから

「おう、久しぶりだなあ」

 と低い声で答えた。そして無精髭を手でさすりながら

「いやあ、みっともないとこ見せちゃったなあ。久しぶりだっていうのに」

 俺はさっきの話を思い出していた。

「生徒の万引き、大変だったんだって?」

 彼はあきらめたような笑い顔で

「ああ、結局クビになっちゃってさ、こうして飲んだくれてるっていうわけさ。何が議員のセンセイだよ、馬鹿!。あれ、ちょっと待った、何でそのこと知ってんの?あの後もみ消されちゃって誰も知らないはずなのに。つきあってた女がそいつの事務所で働いててさ、そのこと議員のやつ知ってやがって、彼女をクビにされたくなかったら他言無用って脅かしやがるから誰にも言ってないんだよ」

 さっきまで空をさまよっていた彼の視線は確信に満ちたものに変わっていた。

「あのさ、誰から聞いたの?」

「それは」

と言って俺はベンチで眠りこけている「彼」の方を指さした。が、そこには誰もいなかった。

 さっきまでそこにいたはずの人間がいなくなっていることの驚きの直後に俺を襲ったのはあいつの顔さえ全く思い出せないという事実だった。ついさっきまで、会話を交わしていたというのに。

「どうしたんだよ」

 今度は山下が、青ざめているであろう俺の顔色を伺っている。

「おい、しっかろしろよ。ベンチに誰かいたのか?それにしても誰から聞いたんだよ、俺のこと。俺、おっかなくてあけみさんにしか喋ってないのに。あの人だけにはつい喋っちまったよ。同情してくれたっけ。でも、そんなあけみさんも、死んじまったし」

 彼はそこでため息をついて言った。

「あーあ、あけみさんとこのラーメン、また食いてえな」

 そうだ、彼には店のあかり、見えるのだろうか?

 思いつくとすぐに俺は彼の腕を引っつかんだ。

「おいおい、どうしたんだってば?」

 そしてさっき店のあかりの見えたところまで連れて行った。

 くそ、やっぱり見える。彼はどうなんだ。

「ほら、あけみさんの店のあかりが見えるか?どうなんだ?」

 しかし彼の返事は俺の正気を取り戻させてはくれなかった。

「何言ってんだよ。どこにもあかりなんか無いぞ。何であけみさんの店がやってんだよ、そんなわけないだろ」

 同じ場所を見ているのに違うものが見えるなどということがあるのか?彼が正しいのだろうか?いや、それは俺が狂っていることを認めることになる。自分の目に移っていることが現実に違いないんだ、でも、彼の目には・・。

 俺はその場に崩れた。



 赤。

 目の前にあったのは赤だった。公園で気を失ったはずなのに。地面の砂の色ではない。そしてその赤は真っ赤ではない、そう、これは、そうだ、あけみさんの店のテーブルの色。夢か?そうに違いない。そうであってくれ。

 そのとき、がさがさした音がした。それは風化してしまったかつての生き物が風に吹かれてたてるような音でありながら、その不規則な響きは、何か得体の知れない闇の生き物の存在をも感じさせた。

うなだれたまま顔を上げることが出来ない俺にはその音が何なのかすぐにはわからなかった。が、それが音ではなくて声だと気づくまでにそう時間はかからなかった。そう、それはカウンターの向こう側にいるあけみさんの声だったのだ。

 声にならない声はこう言っているのだ。

「やっと来てくれたのね」

 そして目の前に一杯のラーメンが、焼けてしまってほとんど肉のついていない腕で差し出された。


ご感想などもおまちしております。


このコーナーの最初に戻ります