Ume’s Short Stories:10

歴史改変

 

 俺は電車を降り、駅前のロータリーからまっすぐのびた道を歩きだした。通りの両側には数々の店が並び、中央には春のやわらかな日差しを受けた車が行き来していた。そしてレンガ色の石畳のしかれた歩道には、平日の昼前ということもあってか、小さな子供を連れて歩く若い母親の姿が幾分多く見受けられた。ごく普通の午前の風景といえた。
 しかし、あと少しの時間をかけ、ほんのちょっとの距離を歩けば、目的の場所にたどり着くことができるのだということを思うと、そんな穏やかな街の様子とは裏腹に、俺の胸は高鳴り、足早になっていった。そして、無意識のうちに手は堅く握り締められていた。

 俺ははやる心を押さえ、これからとる行動に決して失敗は許されないということを肝に銘じた。落ち着け、落ち着け、慎重に。
 過去に起きてしまった出来事を変えるなどという、前例の無いことをこれから俺はやってみせるのだ。これが緊張せずにいられるわけがない。

 都心から遠く離れた地方の森林地帯に、夜がまだ完全に明けていない時間に実体化してからここまで来るのに、すでに数時間がたっていた。直接目的の場所に現れることができれば問題無いのだが、なにしろ二十年前の過去の街だ。出現したところを誰かに目撃されては困るのだ。長年の研究の末にようやく完成した大事なタイムマシンも、安全な場所に置いておかなければならなかった。十分な金を集められなかったために、偽装装置はつけられなかったのだ。
 俺はいくつもの資料を調べ、この時代にはまだ開発の手が伸びず、ほとんど人の訪れることのない、マシンを実体化するのにうってつけの森林地帯を捜しあてた。これは片道旅行ではないのだ。目的を果たしたらすぐにまたマシンまで引き返し、もとの時代、つまり二十年未来へと戻らねばならないのだ。

 書店のある交差点を左に曲がり、細い通りを進むと、目的のマンションが視界に入った。あと五分も歩けば着く距離だ。
 やがて問題のマンションにたどりついた俺は、通りを挟んだ公園のベンチへと向かった。そのベンチに座れば、ちょうどマンションの出入口が正面に見ることができた。俺はゆっくりとベンチに腰掛け、腕時計に目をやった。もう間もなく、例の男がマンションから出てくる瞬間を目にすることができるはずだ。
 ここまでくればもう大丈夫だ。俺は時間旅行の理論を完成させるまでの長い年月を一瞬のうちに思い出し、そしてその苦労がようやく報われるのだと思うと、自然と笑みを浮かべた。大学の助教授とはいえ、学会からもそれなりの評価しか得ていない俺が、密かにここまで成果をあげていたと知ったら世間の連中はどう思うだろう。俺より若く、生意気な同僚たちがもしこの偉業を知ったら仰天するに違いない。
 しかし俺は、発見した理論の発表などしていない。なぜなら、自由に過去の世界へ行けるなどということが知れわたれば、欲にかられた連中が自分に都合のいいように歴史を変えようとするに決まっているからだ。時間旅行の発見は、身勝手な人類には、まだ早すぎる発見なのだ。俺は妻にさえ話さなかった。そのかわりマシンが完成したら、まず妻だけに教えて、彼女の好きな時代に連れて行くつもりでいたのだ。

 俺は道行く人々を眺めながら、前から気になっていたことについて考えをめぐらせていた。本当に過去の出来事を変えるなどということが出来るのかという大きな疑問が残っていたのだ。こうして二十年前の街に俺が存在しているという事実が時間旅行理論の完成を証明している。が、しかし、果たして過去の時間の流れに俺は影響を及ぼすことが出来るのだろうか。
 そう、その点こそが最も大事な点だった。時間旅行は可能でも、旅行者は決して過去の歴史に干渉することはできないのかもしれない。
 俺は敢えてこの問題を理論上で突き詰めることはせずに、自分で実験してみることにした。時間旅行が理論的に可能だということがわかると、早速マシンの建造にとりかかったのだ。それはもちろん、人類の歴史上、最大のあやまちをすぐにでも未然に防ぎに行きたかったからにほかならない。
 これは確かにいちかばちかの賭けだ。失敗に終われば未来に戻ったところで何の意味も無いだろう。しかし、やってみる価値のある、いや、時間旅行を発見したこの俺こそが挑戦しなければならない賭けなのだ。

 出入口の自動ドアが開き、例の男が出てきた。常に俺を悩ませ、俺の心を曇らせ続けた元凶を、ついに取り除く時が来たのだ。
 あの間抜けな男がこれから駅に向かって走りだす。そして愚かにも、昨夜家に持ち帰って徹夜して完成させた研究論文の入ったフロッピーディスクを道の真ん中に落とすのだ。数分後、駅で上着の内ポケットに入れたはずのディスクが無いことに気づいた男は慌てふためいてここまで戻るが、結局見つからない。当たり前だ。男が落とした数分後に同じマンションの住人の女が拾うからだ。
 拾った女が近所の交番へディスクを届けに行ったそのときに男もそこへかけつけ、無事にディスクが戻り、男はその女のあまりの美しさに一瞬で恋に落ちるのだ。今までろくな女とつきあったことのない彼にとって、まさにこの出会いは運命としか思えなかったのだ。 くそ、何が運命なものか。その運命のお導きとやらによって、結婚し、いつのまにか尻にしかれっぱなしなのがこの俺だ。くそ、なんでまたあんな女になんかのぼせあがったんだ。ちょっとばかり才能があるからって、自分のデザイン事務所でふんぞりかえりやがって。どうせうだつの上がらない俺をあわれんでいるんだ。好きな時代に連れていってやるつもりで一生懸命がんばったのに。昔から歴史の好きな女だったから、完成するまで黙っていて驚かせようと思っていたのに。いつのころからか、つっけんどんな女になりやがって・・・。最近どうも、こそこそしてやがるし。あれは絶対俺になにか隠してるな。ほかに男でもできたのか?あいつ、けっこう年くっても昔とあんまり変わらないからな。ちきしょう。
 まあいい、まあいい、今、こうしてあと一歩のところまで来たんだ。これから二十年前の自分が落とすディスクをあいつが来る前に拾ってしまえばこっちのものだ。そうすれば俺はあの女と出会わずにすむのだ。

 過去の自分が、ディスクを落としたのに気づかずに通りの向こうへと消えた。よし、あとは拾いに行くだけだ。あと数十歩歩いていって拾うだけだ。それだけですべてが良い方向へと向かうのだ。歴史は改変されるのだ。
 感慨にふけりながらディスクの落ちている道路へと歩きだしたそのとき、俺は後ろから何者かに頭を殴られた。突然の衝撃によろめいている俺をそいつはベンチの近くにある公衆トイレに引きずって行った。洗面台にもたれ掛かった俺は、やっとの思いで顔を上げると、その鏡には俺と、もう一人の俺が映っていた。さっきマンションから出て来た若い俺ではなく、この俺と同じ、いい年をした男の顔だった。ただ違ったことは、顔にいくつものあざがあることだった。

「そうだ、気づいたか。俺はお前と同じ年の俺だ。お前が馬鹿なことをしでかすのを止めに来たんだ。お前は馬鹿だ!大馬鹿者だ!」

 わけのわからないことを叫びながら俺をなぐる俺とそっくりの顔の男は傷だらけではあったが、そのうちのいくつかにはばんそうこうが貼ってあった。手当ての途中で抜け出してきたような感じだった。俺の視線に気づいた俺は、俺をなぐる手を休め、憎々しげに言った。

「誰がこの傷の手当てをしてくれたかお前にわかるか?お前がこれから、俺の人生から奪い去ろうとしている女だ。お前が出会ったことを後悔している女だ」

 俺がぽかんと口を開けたままでいると、おかまいなしに傷だらけの俺は先を続けた。

「傷だらけで未来へ戻った俺を見た彼女はな、そりゃあもう、涙流して心配してくれたんだ。部屋の奥から薬箱を無我夢中でひっぱりだしてきてさ『痛くない?大丈夫?』って聞きながら消毒してくれたんだ。そりゃ痛かったけど、あんなに優しくしてくれたのが久しぶりで、うれしくて、本当は痛かったけど、俺は歯をくいしばって我慢したんだよ。だから、わかってんだろうな?絶対に『痛い』なんて言うんじゃねえぞ」

 なおもきょとんとしたままでいると、もう一つパンチが顔面に飛んできた。

「ばか!まだわかんねえか!お前がこれから未来へ戻って彼女に手当してもらうんじゃねえか。そんときに、ちょっとばかり痛いからってひいひい言うんじゃねえぞ、ってこと言ってんだよ!」

 そうか、それでどの傷も全く同じ場所にあるのか。鏡にうつった顔を見比べながら、ようやく俺はそいつの言うことを理解した。

「彼女はなあ、こうも言ったんだ。『こんな身近にあなたを感じたの久しぶりね。こういう時間が絶対必要だわ。いつも私はお仕事で、あなたは研究で手一杯だものね。私にも秘密の研究なんだもの。私ね、昔は悔しくてしょうがなかったの。だってせっかくあなたと一緒になれたのに、あなたったら研究室に閉じこもってばかりなんだもの。でも、傷だらけのあなたを見て思ったの。いつもつらくあたってごめんなさい。でもあと少しであたしの仕事が軌道に乗りそうなのよ。そうすれば収入も増えて、あなたの研究にまわせるのよ。あなた昔からいつも言ってたでしょ。『まだ誰にも言えないけど世界をあっと言わせる研究がもうすぐ完成する。でも資金が足りない、もっと金が必要だ』って。だから私、あなたの秘密の研究を完成させるだけのお金、プレゼントしてびっくりさせたかったの』ってな。泣かせる話だろう?」

 そうか、そうだったのか。彼女は、この俺に・・・。俺はその話に一切疑問を感じることはなかった。何しろ自分が言っていることなので説得力はあったのだ。

「というわけで、お前はあのディスクを拾っちゃいけないんだ。いいな?」
「わかった。自分の言ってることだ。素直に従うよ。それじゃあとっとと帰ることにしよう。こんな時代に長居は無用だ。早く戻って、本当は優しくて、俺のことを考えてくれていた彼女の手厚い手当てを受けるとしようか」

「ちょっとまった!」

 公衆便所から出ようとする俺の腕をぐいっとつかんで引き戻すと、もう一人の俺はこの俺を鏡の前へ押し出し、二つの顔を交互に見ながら言った。

「まだだな。まだ傷が足りねえな。俺と同じ顔になってもらわなきゃ。歴史がかわっちまったら大変だからな」

 そしてまたもやパンチが幾つか飛んできた。なおも打たれ続ける俺の顔はもう一人の俺とほぼ同じ顔になった。

「よし」

 ともう一人の俺は満足そうに言った。

「これで大丈夫だ。まったく、人殴るのも疲れるな。手をやかせやがって。そもそもお前が余計なこと考えるからこんな苦労するはめになったんだぞ」

 さすがにその言葉には我慢できなかった。

「何言ってんだ、お前だって同じ俺じゃないか」
「なんだと」


 そのときだ。鏡ごしに、マンションの自動ドアがすうっと開き、彼女が出て来くるのが見えたのだ。俺は二十年ぶりに見る二十年前の彼女の姿に思わず動きを失った。
 グリーンのスーツに身を包んでさっそうと歩きだした彼女に俺は運命を感じずにはいられなかった。そして、今まさに道に落ちているディスクに気づいてちょこん、としゃがんで拾ったところだ。
 そう、あのディスクに入っている研究論文こそが、この時間旅行の実現のきっかけだったのだ。誰からも認められない、いや、馬鹿にする奴さえいるような突飛な論文だったが、俺はそんな周囲の冷たい視線などおかまいなしにその理論を発展させ、こうしてタイムマシンを完成させたのだ。

 今、目の前で彼女がそのディスクを手にしている。俺の研究を救ってくれている。そして数分後に迫った俺との出会い。

 馬鹿だ、俺は大馬鹿者だ。こんなに重要な出来事を変えようとするなんて。あんなに素晴らしい女性との出会いを無くしてしまうなんて。俺は拾ったディスクを大事そうにバッグにしまい、交番の方へと向かって小走りに通りを行く彼女の後ろ姿に見とれながら思った。
 そして俺の頭にある考えはただ一つ、この出会いをぶち壊そうなどという、馬鹿げた考えをもった過去の俺の行動を阻止することだった。もちろん、彼女の優しい手当てをうけてからだ。


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